思春期って不思議。
激辛、ギラギラ、大音量。
どうしてあんなに刺激を求める?
シュタイナー教育なら、
こんなふうに捉えたりします。
『思春期に強い刺激を欲するのは、
失われた一体感を求めるから』
だって、
ずっと親と一緒だった。
「きいてきいて」
「だっこだっこ」
「いっしょにやって」
でも、もうできない。
体だけじゃなくって、
子どもだった心もすっかり大きくなったから。
だけど、このさみしさはなんだろう。
ぽつんと世界に立っている、
この肌寒さの意味って何?
激辛、ギラギラ、大音量。
強い刺激に浸され包み込まれ、
まるであの頃みたいだ。
お母さんお父さんという存在に、
包み込まれ溶け合っているような。
表面的な反抗や行動だけじゃなくて、
その奥にある本質。
そこに触れられたなら、
思春期は美しい。
もう抱っこはできないけれど、
変わらない安心基地になってあげよう。
何かができたからとか、
言った通りにしているとか、
そういうことでもない。
存在そのものを肯定する、
無条件の愛。
難しい時期だからこそ、
コンプレックスを抱えている時だからこそ、
親はまるごと包んで認めてあげる。
誰もが通り抜ける思春期。
親も子どもも大変だけど、
美しい時代です。