「ほんとは、
よくやったねって言ってもらいたかった」
6歳の娘がぽつり。
「ここはまあいいかな」
と、手を貸してあげた直後でした。
甘えていいよって思っていたのが、
「あ、そんなこと言うんだ」って。
子どもは、
「甘えたい」と「自分でやりたい」
両方を持っている。
どっちもこの子。
両方で「わたし」の子。
「わたし」 自身そうであるのと同じように、
この子も自分の中で揺らいでる。
「やって」と子どもが言う。
でもその甘えの裏には、
自立が隠れているかもしれない。
「甘えていいよ」
「自分でやるんだよ」
どっちにでも転げそうな、
小さな丘の上で親は風に吹かれてる。
自立の芽を摘んでしまわないように、
突き放さないように、
子どもが言葉にできない声に耳を澄ます。
『 すでにできるようになったこと』
『ちょっとがんばったらできること』
それだったら、
思いきってやらせてあげよう。
そこにある甘えを受け入れると、
子どもが弱くなっちゃうこともある。
それは本望じゃない。
親にとっても、子どもにとっても。
「やってごらん、できるよ」
すぐ近くで見守ってあげる。
やれたら「できたね」って、にっこり。
その時返ってくる声は、
きっと自信に満ちている。