頭の良さって、どこからやってくる?
ポコポコと湧き上がる泉のような、
そんな源泉ってどこにある?
それって、
生活体験の中にあるのかも。
例えば、
包丁で野菜を切ったり。
部屋の隅まで掃除したり。
梅シロップを作ってみたり。
どれもこれも、
テストの点数からはほど遠い場所。
でもそんな場所でこそ「知」は産声を上げる。
例えば、割り算。
子どもにとって割り算ってムズカシイ。
何が難しいかって、「割る」という概念。
でも、こんな体験だったらわかる。
ボトルに入ったジュースを、トクトク。
3つのコップに同じ量になるように分ける。
たったそれだけ。
でも、そこには体がある。
感覚が動いてる。
「分けれた」うれしさを心が覚えてる。
体と心の動きが、
本当の理解力になる。
頭だけじゃ本質はわからない。
それが人間だったりします。
実際、こんな話があります。
小さい時からたくさん勉強してきた子。
どちらかと言うとちょっと詰め込み気味な勉強法。
テストで点数が取れるはずなのに、
算数や物理の概念がなかなか理解できない。
それもそのはず、
生活体験が希薄だったから。
ジュースをコップに分けたり。
四角い部屋を隅まで掃除したり。
そんな体を使った体験がないと、
ものごとの概念ってつかみどころがない。
あたり前の日常。
四季を感じる生活体験。
手と心がたくさん喜ぶ暮らし。
人間が持てる思考力は、
いつも暮らしの中からはじまる。
私たちが食べて眠って遊ぶ、
その微笑みの近くにある。