「好き」が「好き」のままで、いられますように

子どもが何かしてるぞ。
なんだろう…
ふむふむ。

「これなに?」
と、聞いてみたり。
「ここがちょっと…」
と、ジャッジしたり。
「こうしたら?」
と、いきなり意見してみたり。

意外とやりがち。
でも、もちろんそんなことはしなくたっていい。

だって、それがどんな気持ちにさせるか。
「わたし」はもう知ってるから。
子ども時代に(ほろ苦く)体験済み。

子どもがやってることに興味を持つ。
ニコニコして見てる。
いいなあって心から言う。

それがどれほどの喜びになるか。
それも「わたし」は知ってる。
子ども時代に(キラキラで)体験済み。

「この前のほうがよかったなぁ」とか。
「ここがこうならもっといいのに」とか。
それって、もっと良くなって欲しいと思う親心。
そして、ちょっぴり期待が入ってたりもする。

だけど、よくよく見てみると…
こうなったらいいのにとか。
こっちのほうが社会で得するとか。
こうあるべきだとか。

それは親の中に隠されている、
思い込みや不安だったりもする。
どこかで植え付けられた、
たくさんの怖れ。

こうじゃなきゃダメなんだ。
こうしないとやっていけない。
そんな怖れから、子どもについ言ってしまったり。

でも子どもは素直だから、
褒められるためにつくりはじめちゃう。

すると自分の「好き」が、
こだまのように遠くなっていく。
まるで、自分の声が思い出せなくなるみたい。
つくればつくるほど、違和感が積もる。

興味を持つこと。
いいいなぁって言うこと。
とてもシンプル、
子どもはそれを求めています。

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