子どもって、大人と違う。
わがままとか癇癪とか、
そういうことでもなくって。
「あと15分で行くよ」
そう言ったときに、
「じゅーう? じゅーごふん?」
子どもは15分の感覚じゃなくって、
「15分」という言葉でスッテンと転ぶ。
編み出す前の毛糸玉のようなふわふわした存在。
追いかけていっても、
思ったような形には仕上がらない。
小さいからこそ、
時間って教えにくい。
手のひら返して指おりしても、
いまだ届かない概念の世界。
だからこそ、
「この砂が全部おちたら出かけるよ」
そう言って、くるっとしてあげる。
砂時計です。
それって、目に見える時間。
手で触れられそうな、
触れたらちょっと冷たそうな、
まるで時間そのものの手触り。
概念とか、本質とか、
難しい言葉はどうでもいい。
「この砂が全部おちたら出かけるよ」
目に見える時間だから、
頭だけじゃない。
子どもは心を通して時間に触れられる。
シュタイナー教育だったら、こんなのもある。
高学年の歴史の授業。
何百年何千年という時間の感覚をどう教えるか。
子供たちを一列に並ばせる。
並んだ一人ひとりが、
自分のご先祖様。
〇〇ちゃんのお父さんのお父さんのお母さんのお母さん…
そんなふうに、一人ひとりを100年として数えていく。
何千年という歴史の流れも、
目に見える人という形で感じることができる。
心や血がつながった存在としてとらえられる。
本当にちょっとした工夫。
でもそのちょっとしたことで、
歴史を自分のこととして感じられるようになります。