子供が「答え」を気にする。
答えなんてと思うけど、まあわかる。
親として、なんて言ったらいい?
答えじゃない場所に向かう子育てがわからない。
そんな暗い足元だからこそ、
芸術が照らしてくれる。
芸術って、答えがない。
ゴールもそこに向かう道も自分で見つける。
誰かが用意してくれたレールではなく、
エスカレーター式の昇進でもない。
なにが好きで、
なにをしたくて、
どうしてもそれをやりたいんだ。
そんな「わたし」の大声が出せる場所。
それが芸術なのかも。
例えば、シュタイナー教育の授業の中にも芸術はたくさん。
算数の授業で絵を描いたり。
植物学や天文学で詩をつくったり。
これでもかというぐらい、芸術に満たされている。
でも、シュタイナー教育は芸術教育をしているわけじゃない。
美術のノウハウを教えるための学校じゃない。
芸術には、言葉にできないものがたくさんある。
内面の力とか、自然な学びとか、想像力とか。
世界の美しさや自分自身の美しさ。
芸術だったら、
そんな答えがないものにも自然と手がのびる。
大げさに考えなくていい。
お絵かきでも歌でも料理でも、なんでも。
芸術って、生活の中ですうはあ息してる。
こうしなければいけない。
こうじゃなかったらおかしい。
芸術にコツがあるとしたら、きっとそれ。
押しつけられたゴールを手放して、ただ面白がる。
子供がしていること、言ったこと。
「面白いなぁ!」って親の気持ちを素直に手渡す。
たったそれだけで、
子供は見えないベレー帽かぶって「えへん」。
自分だけの答えを探し始める。
お母さんお父さんによろこんでもらいたくて。
自分自身をよろこばせたくて。