誕生日の子供たちは輝いてる。
自分が愛されてる。
大切にされてる。
その喜びを全身に浴びて、
その日一日、
ずっとピースサインしてるみたい。
まるで一年に一日だけ、
何をやっても許してもらえそうな。
誕生日にお祝いをする。
それは素晴らしいこと。
でも、こんなお祝いもすると子供の感性が深まるかも。
何でもない日。
何の記念日でもない。
そんな日に、
「今日も何にもない良い日だったね」って。
「何もない日があるから、特別な日があるんだよね」って。
誕生日やクリスマスなど、
「何かある」時はもちろんお祝いする。
でも、子供はこんなふうに学んでしまうことがある。
「何かない」とお祝いしてもらえない。
「何もしない」と大事にしてもらえない。
何でもない日にお祝いをする。
それだけで子供って、
自分は愛されてる。
たとえ何をしてても、
何もしてなくても。
そこには、
変わることのない愛があるんだ。
そんなふうに思える。
そんなふうに思う感性ができる。
受け取るだけではありません。
他の人に対しても、
そんなふうにお祝いが出来るようになる。
愛を送れるようになる。
その人が何かできるとか、
何か特別なことがあるとか、
そういうことでもなく。
ただその人がいるだけで、
いてくれるだけで、
素晴らしいんだって。
そんな当たり前のことに気づくことができる。
それは、言葉では伝わらない。
繰り返しの習慣の中で培われる感性のなせる技。
何でもない日をお祝いする。
それは、子供に感性という贈り物をしているようなもの。
そして、どうか。
自分自身にも時々お祝いしてあげてくださいね。
お母さんお父さんは、
日々子育てしてる。
誰にも褒められないし、
ニュースで報道されることもない。
でも、そんな普通の繰り返しが、
今日もまた子供を幸せにしています。
普通の日に、
普通に自分をお祝いする。
もちろん、何もない日でも。
何もない日だからこそ。