日本人は昔から光が好き。
花火、蛍、お祭りのちょうちん、
ことあるごとに光を楽しんできた。
そのこと自体は世界共通かもしれない。
人間って、光に惹かれますよね。
けれども、海外と日本で違いがあるそうです。
それは光と闇の対比。
線香花火もそうですが、
光の部分と、
周りにある闇の部分。
その両方を楽しんでいるところがある。
(生と死の対比も含めて)
打ち上げ花火や提灯だってそう。
ただ単純に光を作り出す、
闇を追い出す、
という意味だったら、
もっとたくさんの光でもいい。
けれどそうしない。
日本人は無意識に、
光と闇の調和を感じ取っているから。
そこにある美しさを肌で知っているから。
それは、日本の生活環境。
子供の頃から繰り返し体験した営み。
その結果だったりします。
感性ってそうなんです。
環境によって、
繰り返すことによって、
育っていく。
もうすぐ冬至。
夜が最も長く、昼が短い。
冬至を境に、
だんだんと昼の時間が長くなっていく。
まるで、闇が光にバトンを渡すみたいに。
春の光が、
手の届かない場所でもう始まっているように。
光はずっと早く、
この先にある未来を見せてくれている。
「寒さはこれからだけどね」
と、窓の外を見上げて子供につぶやいてみる。
「お空はだんだんと春の光になっていくんだよ」
そんな言葉を添えるだけで、
子供は世界の美しさを感じ取る。
なぜなら、言葉だけじゃないから。
その言葉を語る親の感性を見ているから。
言葉だけじゃない、
体験や環境、
背中で伝えていく。
それはシュタイナー教育が大事にしていることで、
日本人だからこそ「わかる」感覚かもしれません。
シュタイナー教育のカリキュラムでも、
光と影を印象的に扱う授業があります。
6年生の美術の授業です。
それまでは豊かな色彩を使って鮮やかに描いていた。
けれど、6年生では白と黒だけで描く白黒線描をします。
もちろん、子供の内面を支えるためのカリキュラム。
6年生ぐらいになると、
心の中に光と闇といった対極を感じ取り始める。
そんなふうにシュタイナー教育では考えます。
思春期を間近にしたモヤモヤ。
もう子供じゃない、
だけど大人でもない。
心の中に浮かんでくる光と闇。
そんな内面の変化に、
しっかり向き合えるように白黒線描をする。
自分の内面で起きていることに、
芸術を通して取り組む。
お説教でもなく、
言葉で諭すのでもない。
子供たちが自分でする芸術なら、
難しい年齢の子供でも自分の内面と自然に向き合えます。