理由はないんだ、愛してるだけなんだ

「なんでするの? 理由は??」
子供がそんなふうに聞いてきたら、どう答えるでしょうか。
これこれこういうわけで、こうだよ。
と、説明するのも一つ。

でも、すべてのことに理由をつけるのはちょっともったいないと思います。
なぜなら、「理由を見つける」というのも世界につながる一つの方法でしかないから。

子育てをしている親はみんな知っています。
世の中、答えがあるものばかりじゃない。
すべてに答えがあるとしたら、それはテストの答案だけかもしれない。
生きるということは、答えがないものに向かって自分を丸ごと投げ込むようなもの。
むしろ、答えがないのが当たり前かもしれません。

イチロー選手はアメリカで3000本安打を達成した後、ベンチで涙を流したそうです。
それに対して記者が「涙を流した時に何を感じたのですか? 何が涙を流させたのですか?」と質問。
すると、イチロー選手はあらゆるものに答えを求めようとする姿勢は間違っているとして、こんなふうに答えたそうです。

「そんな答えを詮索するのはまったくの無粋ですよ。こんな涙の理由なんて見てる人がそれぞれ勝手に考えてれば良いんですよ」

どんなものにも答えがあるわけじゃない。
答えがない部分に人の豊かさがある。
人間だけが持てる力がある。

もしもすべてのことに答えがあるとしたら、知らないものに出会ったときどうするでしょうか。
その未知のものを分類してみたり、自分が知っているものに当てはめようとするかもしれない。
言ってみれば、頭だけでそのものを理解しようとする。

でも、人間は頭だけでできているのではない。
シュタイナー教育では人間は頭と心と体、この3つでできていると考えたりします。
だからこそ、シュタイナー教育のあらゆるカリキュラムは体も心もたっぷり使う。
自分という存在を丸ごと使って世界を受け入れる。
そこで感じたものは誰でもない、自分だけのもの。
テストの答案には書けない、けれど生きる上で大切なこと。

「なんでするの? 理由は??」
もし子供に理由を聞かれたら、こんなふうに答えてみるのも一つです。

あなたが幸せになれるからだよ。
もっと成長できるからだよ。
あなたを愛しているからだよ。

理由を見つける。
それは、たくさんある世界へのつながり方の一つ。
きちんとした理由じゃないもので子供を抱きしめる。
そんな日があってもいいと僕は思います。

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